休みの日は、朝から家事をしていた。
掃除をして、洗い物をして、妻が過ごしやすいように動いていた。
当時の自分は、
「ちゃんと家庭のこともやっている」
と思っていた。
でも、本当は違った。
頭の中ではずっと、
「何時に家を出れたら、何時間打てるかな」
って考えていた。
家事をしていたというより、“スロットへ行くことを許してもらうため”に動いていた感覚だった。
だから、常にワクワクしていた。
ギャンブル中心で生活が回っていた
今思うと、生活の中心にギャンブルがあった。
家族との予定も、
休みの日の過ごし方も、
どこかで
「この後行けるかな」
を考えていた。
家族で出かけていても、
完全にその時間だけを楽しめていたかと言われると、そうじゃなかったと思う。
スマホで馬券を買っていた時期もあった。
一緒にいる時間を大切にしているつもりでも、頭のどこかはギャンブルに持っていかれていた。
ギャンブルをやめた後、「暇」はあまりなかった
ギャンブルへ行かなくなった後、「暇で苦しかった」という感覚は、正直あまりなかった。
自助グループのミーティングへ行く時間を大切にしていたし、LINEでも全国の仲間と毎日のように繋がっていた。
移動中や、少し空いた時間にやり取りをしていた。
夜でも誰かいるし、朝でも誰かいる。
それは、
「自分はギャンブル依存症なんだ」
ということを、忘れないための場所でもあった。
最初は義務感もあった
正直、最初は義務感も強かった。
「ちゃんと回復しようとしている」
という、妻へのパフォーマンスみたいな気持ちもあったと思う。
でも、続けていく中で、その感覚は少しずつ変わっていった。
“今日一日行かない”
それを積み重ねることの大切さを、少しずつ感じるようになっていった。
一緒にいる時間を、大切にできるようになった
ギャンブルをやめたからといって、急に人生が良くなったわけではない。
借金もそのままだったし、現実的には何も解決していなかった。
でも、家族と一緒にいる時間の感覚は変わっていった。
前みたいに、
「早く行きたい」
と考える時間は無くなった。
温泉へ行ったり、出かけたり。
ただ一緒に過ごす時間を、以前より大切にできるようになった気がする。
今でも動画を見てしまうことはある
今は、店の前を通っても気になることはない。
中へ入ったとしても、打ちたいとは思わない。
でも、動画は今でも楽しいと思ってしまうことがある。
だから見てしまうこともある。
ただ、心のどこかでは、
「こういうものも、なるべく避けた方がいいんだろうな」
という感覚は、今でも残っている。
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