【病的賭博が止まらなかった頃③】実家でつき続けた小さな嘘

パチンコやスロットを始めた頃、親には行っていることを知られたくありませんでした。

親から「ギャンブルは絶対ダメ」と厳しく言われて育ったわけではありません。

でも、自分の中で「ギャンブルは良くないもの」という気持ちがあったからです。

真面目な子どもとして育ててもらったのに、その自分がパチンコ屋へ通っている。

その姿を知られるのが嫌でした。


「ちょっと出てくる」

仕事帰りに行く時は「今日は残業。」

休みの日は「ドライブしてくる。」

そんなことを言っていました。

でも、そのうち理由を考えることすら面倒になっていきました。

「ちょっと出てくる。」

それが一番よく使う言葉になりました。

コンビニへ行くような軽い一言。

でも向かう先は、パチンコ屋でした。

今思えば、小さな嘘でした。

でも、その小さな嘘を何度も繰り返すことで、少しずつ親との距離も変わっていったように思います。

リビングを避けるようになった

パチンコから帰ると、両親はリビングでテレビを見ていました。

以前ならリビングへ行き、「ただいま」と言って何気ない会話をしていました。

でも、パチンコへ行った日は違います。

「遅かったね。」

「ご飯は?」

普通の親子なら当たり前の会話です。

でも当時の僕は、その会話が嫌でした。

「今日は残業だった。」

そう言えば、その後も話を合わせなければいけない。

また嘘をつかなければいけない。

だから、リビングには寄らず、そのまま2階の自分の部屋へ向かうようになりました。

親のことが嫌だったわけではありません。

嘘を重ねて心が疲れるのが嫌だった。

でも、その結果、親と話すこと自体を避けるようになっていました。

「タバコ臭い」

部屋ではベッドに寝転んで携帯を見ていました。

「コンコン。」

ノックの音がして、返事をする前にドアが開きます。

「タバコ臭い。」

当時はパチンコ店の中でタバコが吸えたので、服にも髪にも匂いが残っていました。

「どこ行ってたん?」

「え……パチンコ。」

さすがに、その時は隠せませんでした。

でも、それ以上は話したくありませんでした。

携帯に目を戻し、「もうこの話は終わり。」という空気を出していたと思います。

今思えば、親は責めていたわけではありません。

心配してくれていただけです。

でも当時の僕は、「どこへ行ってたの?」と聞かれるだけでイライラしていました。

借金までしてギャンブルするなんて、後ろめたいことをしているのは自分なのに、干渉されているように感じていたんです。

嘘よりも失っていたもの

病的賭博になると、お金だけではありません。

家族との関係も少しずつ変わっていきます。

「ちょっと出てくる。」

そんな小さな嘘から始まり、

家族との会話を避け、

心配してくれる親にイライラし、

部屋へ逃げるようになっていました。

あの頃の僕は、それが普通になっていました。

その後、借金が親に知られることになります。

親は立て替えてくれました。

きっと「これで終わった」と思ってくれていたはずです。

でも、本当の問題は借金ではありませんでした。

病的賭博です。

借金を一時的に返しても、病気は何も治っていませんでした。

今振り返ると、一番後悔しているのは、お金を失ったことだけではありません。

自分自身が病的賭博(ギャンブル依存症)になっている事実から目を逸らし続けている事でした。

タイトルとURLをコピーしました