パチンコやスロットを始めた頃、親には行っていることを知られたくありませんでした。
親から「ギャンブルは絶対ダメ」と厳しく言われて育ったわけではありません。
でも、自分の中で「ギャンブルは良くないもの」という気持ちがあったからです。
真面目な子どもとして育ててもらったのに、その自分がパチンコ屋へ通っている。
その姿を知られるのが嫌でした。
「ちょっと出てくる」
仕事帰りに行く時は「今日は残業。」
休みの日は「ドライブしてくる。」
そんなことを言っていました。
でも、そのうち理由を考えることすら面倒になっていきました。
「ちょっと出てくる。」
それが一番よく使う言葉になりました。
コンビニへ行くような軽い一言。
でも向かう先は、パチンコ屋でした。
今思えば、小さな嘘でした。
でも、その小さな嘘を何度も繰り返すことで、少しずつ親との距離も変わっていったように思います。
リビングを避けるようになった
パチンコから帰ると、両親はリビングでテレビを見ていました。
以前ならリビングへ行き、「ただいま」と言って何気ない会話をしていました。
でも、パチンコへ行った日は違います。
「遅かったね。」
「ご飯は?」
普通の親子なら当たり前の会話です。
でも当時の僕は、その会話が嫌でした。
「今日は残業だった。」
そう言えば、その後も話を合わせなければいけない。
また嘘をつかなければいけない。
だから、リビングには寄らず、そのまま2階の自分の部屋へ向かうようになりました。
親のことが嫌だったわけではありません。
嘘を重ねて心が疲れるのが嫌だった。
でも、その結果、親と話すこと自体を避けるようになっていました。
「タバコ臭い」
部屋ではベッドに寝転んで携帯を見ていました。
「コンコン。」
ノックの音がして、返事をする前にドアが開きます。
「タバコ臭い。」
当時はパチンコ店の中でタバコが吸えたので、服にも髪にも匂いが残っていました。
「どこ行ってたん?」
「え……パチンコ。」
さすがに、その時は隠せませんでした。
でも、それ以上は話したくありませんでした。
携帯に目を戻し、「もうこの話は終わり。」という空気を出していたと思います。
今思えば、親は責めていたわけではありません。
心配してくれていただけです。
でも当時の僕は、「どこへ行ってたの?」と聞かれるだけでイライラしていました。
借金までしてギャンブルするなんて、後ろめたいことをしているのは自分なのに、干渉されているように感じていたんです。
嘘よりも失っていたもの
病的賭博になると、お金だけではありません。
家族との関係も少しずつ変わっていきます。
「ちょっと出てくる。」
そんな小さな嘘から始まり、
家族との会話を避け、
心配してくれる親にイライラし、
部屋へ逃げるようになっていました。
あの頃の僕は、それが普通になっていました。
その後、借金が親に知られることになります。
親は立て替えてくれました。
きっと「これで終わった」と思ってくれていたはずです。
でも、本当の問題は借金ではありませんでした。
病的賭博です。
借金を一時的に返しても、病気は何も治っていませんでした。
今振り返ると、一番後悔しているのは、お金を失ったことだけではありません。
自分自身が病的賭博(ギャンブル依存症)になっている事実から目を逸らし続けている事でした。
